大根尽くし



一浪生のあんまり相性のよくなかった二人の関係が悪化して険悪になって、いつのまにか私が仲介役になってた。いろいろ話すうちに、すごく久しぶりに部活に居たときのことを思い出した。あの時は、美術部でみんなが楽しく絵を描けるように、というか小さいことなんて差し置いて夢中になれる楽しさをみんなに知ってもらえるように私が誰より絵を楽しんでいたし、環境を少しでも良い方向に向かわせるために私が出来ることは結構なんでもできた。
受験のために絵を描く環境に身を置くようになった今年、絵を描くのは楽しいし、描けば描くほど何かが変わる感じも好きだけど、どこか全力で頑張れない感じがあった。それどころか何かにとても臆病になって、自分の振る舞いに自信が持てなくなって、手を差しのべてくれる人の優しさと強さが羨ましいばかりで、講評で「この調子」って言われても心のどこかでそうではない気がしていた。
入試直前に事故に遭ってからぼんやりこんな調子だったのが、今回の件を経てはっきりした。やっぱり私は絵を全力で楽しんでなかったんだと思う。二人の間で無意識に中立の立場を選んでたことに八方美人だと自分で呆れてたけどそうじゃなくて、お互いにお互いのことを認めてほしくて、この状況に少しでも希望を見せたくて、そんなのどうでもよくなっちゃうのが絵の素晴らしいところでしょって思ったとき、はっとした。自分でも忘れてた。萎縮していく自分や周りの些細なことばかり気にしてたってことはやっぱり間違ってたってことかな。危ない危ない!
息つく暇もなく11時間で一枚描いてみんなと比べてまた描いてを繰り返してると何か忘れてきちゃうなあ。萎縮してた時間のなかで、自分にあった意固地さや、誉められることで一番上手いんだと勘違いしてしまう虚飾が拭い去れたのは収穫だったけど。やっぱり浪人ってするもんじゃない。どうにか来年で藝大受かれないかな?

お互い人間不信になりそうになりながら沢山言葉を交わして、知らなかった世界を知って、逆に私が教えたりして、「こんなに話聞いてくれて、最後には穏やかな気持ちにしてくれる人って初めてだ」って言ってくれた。「最初見たときにこの人とは友達にならなきゃって思ったのは間違いじゃなかった」って…。久しぶりに胸が熱くなった。
苦しそうにしてた会社の人にふと自分の食べてた団子を1本あげたら、あとで「あの団子の味が忘れられません」って言葉をもらった父みたいな人になりたい。失格なんかじゃ絶対ない。いつまでも私の誇らしいお父さんだ。