試験終了

3/1,2(火,水)芸大一次素描ヘルメス
3/5,6(土,日)芸大二次着彩写生「菩提樹の実一本を持った両手、ローズマリー一本を持った両手の2ポーズを想定し、画面内に構成して、2日間で着彩写生しなさい」


二次試験の一日目が終わった後に予備校に戻って描いた再現。

去年一次落ちしてから、自分の次の課題は「意識改革」だとずっと思ってきた。どんな出来事に見舞われても心を建て直して、普段の自分でいられる柔軟さを手に入れたかった。
終わってみて振り替えると去年よりも成長したと思う。絵と自分が向き合うときの構えかたが落ち着いてきた。それに、少しずつだけどこのド堅い頭もなんとかなってきた。
いままで通り行き当たりばったりで模索しながらやる感じも忘れたくないけど、これからは要領を覚えて、作業の一連の流れを見越して完成させていく感覚を養っていかなくては!美術科出身の子達を見ていると当然ながらその辺が足りないなあと思う。



ここは「研究箱」だからとてもつまらない話をするけれど、今年一番私が厄介に思って戦ってきたものはやっぱり自分自身だった。途中までは良いところまで行って期待もされるのに何故か完成させきれない絵を山ほど描いて、そのたびに、自分でも制御できない何かを感じていた。どうしてこうなるのか問いかけてみても浮かぶのはごく個人的で子供っぽい理由で釈然としなくて、どんな人に相談しても呆れられただけだったから、自分に沢山失望した。
綺麗に行きすぎていると最後につまらなくなって物足りなくなるし、開拓者みたくゼロからガツガツ描いたときは大抵滅茶苦茶な結果になった。数回だけその両極がうまく混ざり合った瞬間があって、その時は奇跡みたいな絵になって、それでも安定して一定のクオリティを保てる皆に比べたらどこか足りていないんだといつも本当に羨ましく思っていた。
コンクールになるとそれがとても顕著だった。学科模試のときみたいにいけば良いのにどうしても自分が邪魔をした。それでいつも以上に上手くいかなくて、評価も悪くて、どこまでも自分で自分の価値を下げていくばかりだった。人と話すときはそれぞれの価値を認めさせようとしていたのになあ。
けど去年と違ったのは、皆がいることを実感できたことだった。去年までは避けていたこと、見ないふりをしていたことを多少なりとも知ろうとした一年だったと思う。そうして挑んだ一次試験の一日目、午後の最後の三十分で頭をガンガンに掻き乱されて予備校に再現のために逃げ帰ったとき、担任の先生のいつも通りの言葉がこれまでになく有り難かった。クラスを見渡すと「光の加減で石膏像が真っ白と真っ黒にしか見えなかった」先輩とか、「光も座席抽選で当たった位置も好条件すぎて逆にこれで落ちたらどうしよう」って泣きそうになっていた子、受験当日の異常な緊張状態の中でみんな同じに真剣に絵と向き合って疲労していた。ちょっと描いたことない位置で、いつもなら影の落ちる下向きの顔面が一番明るく見えたくらいの私なんてそこまで大した問題じゃないんだなと思えた。ぐたぐたに疲れていたけど、クラスがどんな時より心地よかった時間だった。
二日目の作業はすごく順調だった。昨日の最後で消化不良ぎみにしてしまった画面を見て、少しアクシデントを抱えていた方がかえってやりやすいやと思った。そこで客観的な判断ができなくなった時こそダメになると肝に銘じながら、手が止まったら周りを眺めながら描いた。自分には自分一人じゃ打ち克てない。みんなこんなに大変なことをしていたんだな。そりゃあこの雰囲気の中で最後まで流されないくらいタフだったらいけるんだろうとひしひし感じた。
去年一次の最後に最も自分の邪魔をした、「自分に芸大に進む資格なんて無いんじゃないか」という思いには、ちゃんと先人が答えを出してくれていた。やっぱり出会うべきときに出会う本があって、問いかければ最高の説得力で答えてくれる。そこにいて、その場の空気を読まなきゃいけない人間の言うことじゃない言葉たちにも沢山励まされてきた。

打ってて頭痛くなってきた…。
初めての二次試験に挑む気持ちは一次よりずっと楽だった。というより一次のために気を使い尽くした感じが無きにしもあらずで、不安要素はむしろ一次よりも多い。
どんな結果になっても色んな意味でやらなきゃいけないことがある。明日はあまり張りつめないでいきたい。
必死なとこがソルキャの神峰君に似ているといつも思う。ほんとに気が合う。